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「 恋文 」書籍について 2005年3月20日に全国書店にて「恋文」が発売されました。 ■題名 恋文 初回発行だけのみハードカバーになっています!! amazon http://socialtunes.net/item/4883469514/via=rfv |
●苦悩を言葉で表現することがいかに難しいかに、改めて思い至りました。あえて表現しているというなら、そこには詩語が介在しなければならないし、
ポエジーに置き換えることで辛うじて人は苦悩を表すことができるかもしれません。私たちの誰でも心療内科に行けば「健康です」と帰されることはないと
あるものを読んでP.Kディックの「ブァリアス」にあった”人間は病んだまま生まれてくるから死ぬのだ”の一文を思い出しました。
痛みは決して誰とも、文字通り共有することができないのに、そもそも誰かを鏡にすることしか「自分」を捉えられないのはなんと皮肉かと思います。
本作品「恋文」は、本来なら共有できないはずの誰かの魂の”痛み”を、他人の”痛み”にも自分の”痛み”にも鈍感な私たちが共有できる作品です。
”どん底”の中でそこから抜け出そうともがく過程と抜け出そうとする過程と、その心の揺らぎが極めて精密な観察と綿密な描写で刻まれていて、だから
リアルに作者の息遣いが伝わってきます。「恋文」を訪れるネットサーファーがどのようにこのサイトをみつけたか、人それぞれなのでしょうが、訪れた人
にとって「恋文」は自らを映す鏡であったかもしれないと、そう感じる作品でした。
●”愛する”ことと”排除する”ことの激しい二律背反が「恋文」を生み出したものでしょうか。
ほとんどの人が適当に折り合いをつけて、適当に考えつつも適度に忘れながら生きてゆく問題を、作者は不可避的乗り越えられないところまで掘り下げ、
そのありようを克明に綴ったものなのでしょうか。ここには、いわゆる表現の美や言葉の贅を尽くした詩からは受けとることのできない、私達の人間の本質
が描かれている気がします。むろん作者が体験したことえを。読み手は想像することしかないのですが、そこには普遍的な心的経験があると感じます。
普遍的なリアリティを感じさせる作品です。「恋文」を拝読していると、精神的な病はまぎれもなく個人的なものでもありますが、同時に非常に社会的なも
のだと感じます。また、このような言い方をしてかまわないならば、やはりある種の表現だと感じます。「恋文」はそうした幾つかの表現形態によって生み
出された総合的な作品といえるでしょう。複雑な作者の内面世界が広がるわけですが、多角的に照射されているために、表現として十分に文学作品に昇華さ
れたものとなっていました。
●詩はいつも、」切羽詰まったところで生まれるのだなと、「恋文」を読んで改めて感じさせられました。詩作は、自分の心の形を追いかけるしんどい作業
だと詩人の誰かが言っていましたが、それでもありったけの力を振り絞ってナマの自分とナマで向かい合って生み出したこれらの詩作品の前には、思わず斎
然とした気分にさせられます。シンボリックにスタイリシュにその時代と人間の生き方を描くのが小説のはたらきならば、詩のはたらきは、生命の処方箋、
人生の処方箋ということになるのでしょうか。心が辛いときに小説を読む気にはなりませんが、詩には、いつもより余計に心惹かれるものです。
思わずふだんは手にしない詩集を書店や本棚で探してしまいます。心が言葉にすがりたくなるのでしょう。そうして、すがりたくなったときに読み手の心が
シンパサイズするのは本作品のような”言葉”の作品集なのかもしれません。読み手は一種のカタルシスを体験し、それによって「キラキラした自分」に変
わることのできない自分とこの世界を受容して、また明日から今日までと同じように生きていくことができるような気持ちになれるかもしれません。
そうした意味で、本作品はまさしく人生の処方箋と言える作品なのではないかと感じました。